日韓関係シリーズ②激動の人生 朝鮮李王朝に嫁いだ日本の皇族 李 方子妃

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管理人NORI

どうも管理人のNORIです。

前回から日韓関係シリーズという事でブログを執筆しています。

日韓関係を紐解く上で今回はある日本の女性の物語を伝えたいと思います。

それを語る上で最初に日本と皇室について触れたいと思います。

日本人と皇室

日本の国民統合の象徴として、また日本人のアイデンティティーとして無くてはならない存在の「天皇」「皇室」

勿論、日本は独裁国家ではないので天皇に反対する人もいると思います。

しかし、無私の心で国民のため活動して祈ってくださる尊い存在として多くの国民が支持していると思います。

さて、そんな王室、皇室ですが隣国の韓国にもかつて王朝があったことはご存知でしょうか?

朝鮮最後の王朝 李王朝

現在の朝鮮半島に1392年から1910年にかけて存在した李王朝

前の王朝、高麗王朝の武将李 成桂(イ・ソンゲ)が自ら高麗王朝に即位をして宗主国であった明に封ぜられた事で、李王朝の初代国王とあります。

 

この時代は多くの韓国ドラマの題材になっていたりするので、知っている人も多いと思います。

 

この李王朝は明そして清に服属する冊封体制制度の中で存続していくことなります。

歴代の朝鮮王朝は地政学的に日本と違い、シナ大陸に成立した王朝の強い影響を受けます。

その王朝に転機が訪れたのが、帝国主義の時代19世紀末です。

大韓帝国そして日本併合により日本統治時代に

19世紀末、西欧の帝国主義の波が北東アジアに押し寄せます。

(簡単に歴史の流れを管理人の目線で伝えます。)

北東アジアで大きくまず揺れ動いたのは大国、清王朝です。

 

清王朝はイギリスとのアヘン戦争に敗れて以降、西欧諸国が押し寄せ半植民地化をします。

日本もロシアやアメリカの黒船が押し寄せ、アメリカとの不平等条約を結び、植民地の危機になります。

日本は間一髪のところで幕府を倒幕し薩長の雄藩による新政権を樹立、明治維新からアジア諸国の中で先駆けて近代化に成功します。

新政府の外交の問題で当時、1番頭を悩ませていたのが李氏朝鮮との関係でした。

 

朝鮮半島は日本と距離も近く、国防上重要な場所。

 

近代化を促しても李氏朝鮮は事大主義のまま日本の要請を拒否

そして、1875年に江華島事件が起き、日朝修好条規を結びます。その後、鎖国、開国を巡り李氏王朝は大きく揺れることになります。

東学党の乱を経て、日本と清国が戦争。日清戦争に勝利した日本は清国と下関条約を締結。

 

これにより、朝鮮は冊封体制から離脱、独立国となり大韓帝国となります。

しかしその後、大韓帝国は宗主国をロシアにします。

対峙することになった日本はロシアと日露戦争で勝利。1905年に大韓帝国を保護国とします。

 

この時、日本の責任者は伊藤博文。伊藤は併合に反対の立場でした。

しかし、安重根により暗殺されたことで併合派が優勢となり1910年に韓国は日本に併合されます。(韓国併合)

 

1945年、日本の敗戦まで日本統治時代(韓国では日帝強占期)になります。

この時、李氏王朝の王族は日本の皇族に準ずる王皇族になります。

李垠に嫁いだ日本の皇族 方子王女

韓国併合により人生を翻弄されることになったのが李垠王子と方子王女です。

引用:WOMAN PRESIDENT

李垠王子は李氏王朝の末裔として、皇族であった方子王女と婚姻します。

 

方子王女は裕仁皇太子(昭和天皇)のお妃候補でしたが、新聞にて李垠王子との婚約を知ったそうです。

 

朝鮮を日本と一体とする内鮮一体の政略結婚でした。

 

その後、自分の役割を受け入れ李垠王子と1920年に結婚します。

長男、次男を授かる

その後2人は、子宝に恵まれます。結婚から2年後、長男の第一子の晋(チン)が誕生します。

この誕生を李垠王は大変喜んだそうです。

 

しかし、その後突然の急性消化不良によりわずか8か月で死去。

悲しみに暮れます。

その後次男の第二子の(ク)を出産。

李垠王は大日本帝国の陸軍将校として万子は妻として母として家庭を守りました。

日本敗戦。翻弄される2人

その後、2人は運命に翻弄されます。

日本は敗戦により、朝鮮の領有権を喪失します。

また日本国憲法の施行により2人の身分は王皇族を剥奪されます。

王家には一時金が支給されますが、李垠王は軍人でした。一時金は支払われませんでした。

 

さらに、韓国人を理由に軍人恩給もなく生活は困窮

生まれながらの王家だった2人は当然、生活力はありません。

また、日本と韓国から見捨てられた李垠はこの時期大変塞ぎこんでいたそうです。

 

そして、祖国へ里帰りを希望するも韓国の初代大統領の李承晩大統領は韓国への入国を拒否

国籍が回復されて、里帰りを実現します。

しかし、李垠は既に寝たきりの状態。

1970年にこの世を去ります。

残された方子は韓国人として祖国に戻らず韓国に残り続けます。

韓国の福祉に尽力

韓国に残った方子は夫の遺志を継ぎ、障害児教育に力を入れます。

特技の七宝焼を活かし、書や絵画を売り資金を調達。教育機関を設立します。

当初は、李氏王朝の反感や日本人への悪感情でなかなか理解されませんでした。

 

しかし、活動を続けることで徐々に好意を持って迎えられ1981年韓国政府から牡丹勲章が授与されます。

そして、1989年に死去。

その葬儀は準国葬として執り行われます。

そして、後に韓国政府から勲一等を授与されたのです。

 

人生を翻弄された一人の皇女は両国の懸け橋として韓国からも愛されました。

彼女の生涯から学ぶこと

今回のブログで日本の皇女から韓国にその人生を捧げて韓国の福祉に尽力した李方子妃にスポットを当てました。

 

彼女にスポットを当てた理由は現在の日韓関係を考える上でとても重要だと思ったからです。

 

彼女は日本の皇女でありながら韓国で生涯を終えます。

 

日本と韓国を繋いだ象徴として両国の人がもっと彼女を知ればと思います。

この様な先人たちの思いを汚さないためにも両国で歩みよれるところは歩み寄るのが重要だと考えます。

 

無理に友好ムードを作るだけでなく、認めるところは認め受け入れるところは受け入れる。

協力できる分野を探すことが重要だと思います。

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管理人NORI

いかがでしたでしょうか?

日韓関係を考える上で忘れてはいけない、李 方子妃の存在。

歴史をそしてお互いが向き合うのに重要なヒントをくれている気がします。

ブログを最後までお読みいただきありがとうございます。

ブログのシェアをよろしくお願いいたします。

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