最強の戦国武将を選ぶ!内政、外交、戦闘、謀略、真の最強武将は【戦国武将ランキング】

管理人NORI

どうも、NORIです。

戦国時代に興味がある人なら、誰でも一度は持った疑問。

本当に強い最強の武将って誰なんだ?

 

戦国時代は多くの華々しい英雄たちが一斉に現れた時代。

今日は

①内政②外交③戦闘④謀略

 

というカテゴリーで本当に優れていた最強武将はだれかを考えていきたいと思います。

 

戦国時代本当に強い武将はだれか?

最後に総合的に強い武将を決めたいと思います。

 

なお、このランキングはあくまで管理者の個人的見解と主観で決めていくのでご容赦ください。

(押しの武将がいなくても多めに見てくれると嬉しいです。)

目次

内政 家臣 部門

領国を安定させ大名の勢力基盤を作ることは、戦闘のために必須。

優れた政治力を発揮し、大名を補佐した武将を選びました。

3位 丹羽長秀 織田家の重臣であり、「米五郎左」と称された。

画像引用:丹羽氏歴代画像 二本松市役所

丹羽長秀は信長の大躍進を支えた、重臣の1人です。

 

米五郎左」と称され、お米の様に織田家に無くてはならないと称された長秀。

家臣の中で最初に国持大名となり、若狭一国を与えられました。

 

その後も、安土城の総奉行を務めたり京都で行われた御馬揃えでは最初に入場。

この様な厚遇を与えられていた事から、長秀が信長からの信頼を勝ち取り評価されていた事が伺えます。

2位 本多正信 家康の謀臣として江戸幕府を支える。

家康の天下統一に導いた謀臣であり、家康の「」として有名な本多正信

武闘派の徳川四天王にスポットライトが当たりがちですが、江戸幕府の成立には、正信の貢献があります。

 

はじめ鷹匠として仕えていた正信は三河一向一揆の際に家康に反逆。

一揆で出奔した後は諸国を流浪。

謀略家として名高い松永久秀に仕えたりします。

 

その後、家康の許しを得て家中に戻ってから正信は手腕を発揮。

本能寺の変の後、甲斐統治の際に旧武田家の家臣団を吸収に奔走し関東移封された際にも江戸の街づくりに尽力しました。

 

関ケ原の戦い後、家康の征夷大将軍任官のため朝廷と交渉。

幕府の開府後は、中枢で家康を補佐しました。

1位 羽柴秀長(豊臣秀長) 秀吉を支えた偉大な弟

「豊臣秀長 肖像」の画像検索結果

画像引用:豊臣秀長画像 大和郡山市のホームページ

天下人豊臣秀吉の異父弟であり、豊臣政権の調整役として大活躍をしたのが豊臣秀長です。

豊臣秀長は、兄秀吉の補佐役として各地の戦いに従軍、指揮をして武功をあげました。

 

豊臣秀吉が関白就任し天下人になると共に、秀長も大和を中心に100万石の大大名となり高位の官位に就任。

寺社勢力が強い大和国を卒なく統治をして、商工業の保護を行い陶器づくりなど促進しました。

 

また秀長は、秀吉に唯一意見ができるブレーキ役でした。

 

秀吉には譜代の家来がいなく一門衆も少ない中、本当に頼れたのは秀長だけだったのではないでしょうか。

秀長死後の秀吉は千利休に切腹を命じたり、豊臣秀次を惨殺したりと豊臣政権に暗い影を落とすことになります。

 

結果として、秀長死去後わずか20年あまりで豊臣家は滅亡してしまいます。

秀長がもし長く生きていたら歴史は、別の展開を見せていたでしょう。

内政 大名部門

3位 今川義元 海道一の弓取りは優れた内政家

名門今川家の生まれであり、武田、北条と同盟を結び天下に最も近いと言われた大名が今川義元です。

信長に敗れた桶狭間の戦いのイメージが強いために、長らく暗愚の将という扱いでしたがそれは間違いです。

 

義元は優れた領国経営を行い、灰吹き法という精錬法で莫大な産金収入を持ち、東海道の物流を活用して商品経済を掌握しました。

また、父である氏親が制定した「今川仮名目録」を改定して法による統治を強化。

 

これにより今川氏の領国は確立されました。

桶狭間の戦いは西上作戦、京に上洛をして天下を取るというゴールまであと少しの不運だったのです。

2位 大内義隆 西国の覇者で大内文化を築く

西国の覇者として大陸文化と京都の公家文化を融合させた、大内文化を作り上げました。

義隆は家督を継ぐと、北九州を制圧し中国~九州と広範に渡る領国を支配。

 

その後、幕府に代わり明との貿易を盛んに行い、全盛を極めます。

また、この頃キリスト教が日本に伝来すると、積極的に西洋の文化を取り入れます。

 

あの有名なフランシスコ・ザビエルに山口で布教を許可するなど開明的な大名でした。

そんな全盛を極めた義隆ですが、尼子氏との敗戦後、家臣の陶晴賢に謀反を起こされ大内家は滅亡していきます。

1位 北条氏康 泰平の世の礎を築いた関東の王

名だたる戦国の猛者たちを相手に不戦に近いほどの戦績を残している氏康。

軍事面もさることながら内政面でもその手腕を発揮しました。

 

他国の農民が高い年貢に疲弊している中、氏康は「四公六民」という税制を取り、飢饉の際にはその税率を下げたりしました。

また、目安箱を設置したり検知や家臣所領の土地を調べ家臣の知行などを帳簿にし情報化。

 

武器や弾薬の在庫票を作るなど在庫管理システムを築きます。

 

日本最大の城郭である小田原城を整備し都市開発を行うなど善政を行いました。

この基盤が後に関東に移ってきた徳川家の領国経営にも活かされ江戸幕府に受け継がれたのです。

外交

内政や戦だけでは乱世の時代に生き残れません。

ここでは凄い外交交渉能力で家を存続させ、大勢力を作った武将をピックアップします。

3位 松前慶広 秀吉、家康を相手に独立、蝦夷地支配を勝ち取った武将

戦国時代、蝦夷地は大部分がアイヌが支配しており和人とアイヌは抗争を繰り広げてきました。

慶広の父季広の時代にアイヌと和解をし道南に支配権を確立させますが、まだ安東氏の支配下にありました。

 

その後に当主となった慶広は天下人である秀吉に接近。

蝦夷地の支配権を認めさせ、全蝦夷地の支配を確立させました。

 

秀吉が死去すると次の天下人である家康にも蝦夷地の交易を認めさせ、松前氏と名乗ります。

これにより、松前藩を確立し独立を果たしました。

2位 足利義昭 信長包囲網を作った最後の室町将軍

室町幕府最後の将軍となった足利義昭ですが、信長を追い詰めた外交手腕は見事です。

12代将軍である足利義晴の次男として生まれ、仏門に入ります。

 

兄である義輝が松永久秀により殺され還俗し信長を頼り幕府を再興します。

その後、信長と対立、武田信玄、浅井長政、朝倉義景、顕如など各地の有力大名に文を送りつけ、信長包囲網を敷きます。

 

その後、信玄の死により包囲網は瓦解しますが信長の天下統一を遅らせるなど将軍の意地を見せました。

1位 徳川家康 天下人の外交力

外交の1位は、徳川幕府の初代将軍である徳川家康です。

忍耐力、家臣に恵まれた事、合戦の指揮能力といくつも挙げられると思いますが、1番の凄さはやはり「外交力」です。

 

家康は常に実力者を見定め、臣下として領土を守りタイミングをみて勢力を拡大してきました。

まず、家康は今川独立後に織田家と清州同盟を結びます。

 

その後、天下取りに邁進する信長をサポートしつつ、着実に自分の領国を広げていきます。

信長との同盟を守るために、自分の嫡男である信康を排除して家を守りました。

 

信長の軍事力を持ってすれば徳川家は滅亡できたはずですが、忠実な同盟者として行動をしていきます。

また、本能寺の変後、動揺する織田家の中、武田の遺領である甲斐や信濃を獲得。

 

後見人となった秀吉とも渡り合い、勢力を保持したまま臣下として国力を蓄えます。

関東移封後も、朝鮮出兵などで勢力に陰りがある豊臣家を他所に領国経営を行い力を蓄えます。

 

秀吉死後は、関ケ原の戦いで勝利。幕府の権力を確固たるものとし、豊臣家を排除。

遂に天下を取ります。

戦闘

合戦を指揮したときに強かった武将、自ら戦に出て活躍をした武将を選びました。

剣豪などは除外とします。

①単騎部門 1人の兵士として強かった武将

第3位 森長可 信長も一目置いた「鬼武蔵」

猛将が多くいる織田家の中でも乱暴者として知られるのが森長可でしょう。

信長の小姓と知られる森蘭丸は長可の弟です。

 

長可はわずか13歳にして家督を継ぎ、1973年の長島一向一揆で初陣を飾り、翌年の一向一揆攻めでは首級27人を挙げ武勇を見せます。

その後、信長の嫡男である信忠配下として各地に転戦、武田攻めで大活躍。

 

武田攻めでは先鋒を務め、「鬼武蔵」の異名をとるほど敵を震えあがらせたのです。

城兵を次々になぎ倒し武功を上げますが、この時に軍規違反を行い、信長から注意を受けました。

 

本能寺の変後、混乱する美濃で活躍するも秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いで戦死します。

長可は槍の名手として知られ、その槍には「人間無骨」という銘が彫られていました。

 

”人間とはただの骨である”という意味で、主君の信長よりもある意味では敵に1番恐れられていたかもしれません。

第2位 可児吉長 関ケ原で多くの首を上げた槍の名手

取った首に笹の葉を差していたことから「笹の才蔵」と呼ばれた武将です。

出自は美濃と言われ、宝蔵院槍術を学びその後、主君を転々としました。

 

後に福島正則に仕え、関ケ原の戦いに東軍で参戦。

東軍で最多となる17の首級を挙げて徳川家康に称賛されます。

第1位 吉田正重 朝鮮出兵でも武功をあげた

第1位は長宗我部氏の家臣で猛将として知られる吉田正重です。

1582年に初陣を飾り、大阪の陣に至るまで115の首を取ったという剛腕の持ち主

 

朝鮮出兵の際には敵の武将を捕縛し、虎を退治したという逸話が残っています。

大坂夏の陣では豊臣方に就き、敗戦後土佐で医者として余生を送りました。

 

武功を上げる機会が少ないにもかかわらず生涯で115の首を挙げた実力、医者で過ごしたという意外性で正重を1位としました。

②指揮官部門 優秀な指揮官として英雄を支えた

第3位 馬場信春 鬼美濃と呼ばれた武田の勇将

武田四名臣の1人であり武田家最盛期を支えた武将です。

40年来、70余りの戦に出陣しますが戦でかすり傷を負うことなく「不死身の鬼美濃」と称されました。

 

元々、武田傘下の1武士集団から信を勝ち取り、重臣に登り詰めます。

信濃侵攻、川中島合戦での指揮を任され、北信濃の守りを固めると共に多くの城を築きました。

 

西上作戦にも参加し三方ヶ原の戦いでは、家康を浜松城下まで追い詰めます。

そんな鬼美濃の最後の戦いとなったのは長篠の戦いです。

 

織田・徳川連合軍の前に大敗を期し、自ら命を捨て武田勝頼を逃がし忠義を尽くしました。

その見事な最後に敵の信長も称賛したほどです。

第2位 小早川隆景 毛利家を支え、秀吉から信任された

兄の吉川元春と共に「毛利両川」体制を担い、豊臣政権では五大老にまで登り詰めた隆景。

小早川氏を相続し、強力な水軍を率い大内や尼子を破り、毛利家を中国の覇者にします。

 

また、豊臣政権では四国攻め、九州征伐や朝鮮出兵で武功を上げ豊臣秀吉から信任を得ます。

政治、軍事の両面に優れ主家をサポートする優秀な武将でした。

第1位 真田信繁 日本一の兵(つわもの)

戦国好きの間でも人気が高い”真田幸村”こと真田信繁が1位です。

関ケ原以前は、人質として上杉や豊臣にいました。

 

また関ケ原の戦いでは西軍として戦い、その後、高野山に蟄居。

つまり実際に活躍した戦いは、上田城合戦や大阪夏の陣、冬の陣くらいしかありません。

 

それでも智将として知られる父 真田昌幸に負けずと劣らない智略と、家康を震撼させた武勇は間違いなく最強クラスでしょう。

③総大将部門 全軍の将として兵や部隊を指揮

第3位 織田信忠 信長が認めた天下の後継者

父である織田信長の人気、カリスマに隠れる形で殆ど評価さることがない嫡男の信忠。

しかし、信長の生前から家督を譲られ名だたる家臣を指揮して数々の戦いで武功を上げているんです。

 

父である信長の戦の作法を間近で学んだ信忠は、1575年の長篠の合戦後、武田家の城である岩村城を攻略。

その後、尾張や美濃の支配を任され、家督を継承。

 

実権は信長が握っていたものの、当主になります。

当主となり、各地の戦いでは総大将として活躍。

 

紀州攻め、松永久秀を滅ぼした信貴山城の戦い、中国攻め、甲州征伐など父の天下取りを強力に後押しします。

偉大なる父と共に目指した天下取りまであと一歩のところで本能寺の変により二条御所で死去。

 

26歳の若さでこの世を去ります。

もし、信忠が本能寺の変を生き延びていれば秀吉や家康の天下は無かったと言っていいでしょう。

第2位 下間頼廉 本願寺の一向一揆で指揮をとった武闘派

信長に10年にわたる抵抗をして、天下取りを遅らせたと言われる石山本願寺の坊官、下間頼廉です。

法王顕如に仕え、指揮官として戦闘指揮を行いました。

 

信長包囲網が徐々に瓦解する中、最後まで信長を苦しめた本願寺。

すさまじい抵抗で武名を轟かせますが、信長と和睦。

 

和睦後は各地で織田軍に対して抵抗をする一向宗の説得に当たりました。

また豊臣政権時代には本願寺町奉行に任じられ長寿を全うします。

第1位 豊臣秀吉 優秀な家臣を次々と味方につける人たらし

画像引用:名古屋市役所公式ホームページ

人気漫画「ワンピース」の主人公のルフィの様に次々と他人を味方につける最強の能力を持った武将が秀吉です。

他の大名の様に譜代の家臣団や一門衆がいないという最大のハンディーを持ちながら、才覚、野望でついには天下人に。

 

織田家臣時代は優秀な軍師である竹中半兵衛、黒田官兵衛を家臣にし織田家でも異例の出世を果たします。

山崎の戦いでは知略で明智光秀を上回り、信長の後継者になり遂には家康を従え、その後全国を平定。

 

絶大な権力で大軍を動かし、また度胸も併せ持つ秀吉が大将として1位でしょう。

謀略

戦国の乱世を巧みな謀略で駆け抜けた武将

第3位 宇喜多直家 主家を乗っ取った暗殺魔

謀略の限りを尽くし、主家である浦上家を乗っ取たのが宇喜多直家です。

祖父の宇喜多能家を島村盛実に謀殺され、父も逃亡して幼少時は孤児のような生活を送っていました。

 

成人になり浦上家に家臣になると、ここから謀略の限りを尽くします。

祖父の仇を殺し、舅である中山信正を謀反の疑いで排除、火縄銃による暗殺、娘婿を争わせて殺す等、、、

 

家臣や親戚など関係なく次々と目障りなものは排除していきます。

力をつけた後、主家である浦上家に謀反を起こしますが、1度目は失敗。

 

助命された後、今度は毛利氏に味方をして遂に独立大名となります。

織田家が毛利を攻めるとすぐ信長に臣従するなど変わり身の早さを見せました。

第2位 毛利元就 中国地方の覇者は謀略の天才

第2位は毛利元就です。

安芸国の小豪族から一代で中国地方の覇者になった元就は謀略の天才でもありました。

 

大内家と尼子家という2大勢力に囲まれていますが、臣従や離反を繰り返し生きながらえていきます。

そうした上で領国を強固ものとするため抵抗勢力や邪魔な家臣を次々と粛清。

 

強固な支配体制を築き、ついに独立を宣言。

それに起こった尼子晴久に本拠である吉田郡山城を包囲されますが徹底抗戦をし独立を認めさせます。

 

その後、安芸を統一して自分たちの息子を吉川氏、小早川氏に送り込み家を簒奪。

確固な体制を築いた上で、奇跡の勝利といえる厳島の戦いが起こります。

 

大内を支配した陶晴賢が二万の大軍を三千と言われる少ない兵力で奇襲。

大軍を打ち破り大内氏はその後、滅亡します。

 

その後、尼子氏を討ち果たし遂に中国の覇者まで登り詰めました。

第1位 明智光秀 戦国最大のカリスマに謀反を起こす。

戦国最大のカリスマである織田信長に謀反を起こした明智光秀が第1位です。

織田家の中でも策略家として知られ信長に認められた光秀ですが、本能寺の変で信長を殺害するのに周到な用意をします。

 

警備が薄い本能寺に信長が滞在するのを狙い、大軍で本能寺を襲撃。

同時に後継者である信忠を殺害し、動揺する安土城に入城をして近江を制圧します。

 

本能寺の変の前後の動きを見ると、この謀反が思い付きでなく計画的であったことが分かります。

最強の戦国武将は誰か?

これまで、外交、内政、戦闘と様々な方向から武将を検討してきました。

 

私の結論は、総合最強武将は豊臣秀吉だと思います。

 

武家で初めて関白になった功績、大軍を率いた絶大な権力、人たらしと言われた個性などは他の武将は持ち合わせていません。

 

また、他の武将と違い秀吉には地盤となる国や城、家臣など全てない0スタートでした。

この不利な状況を覆せた武将は秀吉しかいない事を考えると秀吉が最強武将と言っても差し支えないでしょう。

 

いかがでしたでしょうか?

戦国時代の最強武将は秀吉だと結論付けましたが、他にも様々な魅力ある武将がたくさんいます。

ぜひ、皆様も自分で最強武将は誰かと考えてみてください!

 

★おすすめ
戦国武将に詳しくなる一冊です。

 

戦国武将 完全ビジュアルガイド 新装版

新品価格
¥1,960から
(2020/4/1 02:59時点)

最近ハマっているのがこの漫画です。

史料を丁寧に検証し、通説を引っ繰り返し人物や事件を検証している姿勢に好感が持ててとても面白いです。

 

信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~ 7 (ヤングチャンピオン・コミックス)

新品価格
¥518から
(2020/4/1 03:01時点)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です